人生をよりよくするには

 年明けからブログとダイエットを頑張ろうと思って始めたが、ずいぶん放置してしまった。思えばこうして何かが続かなくなるのは初めてのことではない。いろいろとルールを作りすぎてハードルを上げてしまったのかもしれない。面倒な仕組みを作りすぎてもよくない。当初の目的通り、思考のメモを書く。

 日々の生活で、何をしたら「よりよく」なるかの基準が欲しい。「よりよく」の定義はまだできていない。まずは「よりよく」の定義を5W1Hで考えてみる。自分の、人生が、現在~未来にかけて、どこで?所属しているコミュニティ等、仮説を立て検証しながら行動することで、より望ましい状態になること。

 すこしまだ曖昧。自分のというのは正しいか。他者の幸せを願うことこそが人生の幸福度を高めるという意見もある。ダライラマ?ただ、他者の幸せは自分の幸せを間接的に高める手段であって目的ではないとすると、やはり主体は自分自身しかありえないのでは。

 人生がというのも曖昧過ぎる。一定の時間、空間を占有して、生物的活動を繰り返し消滅すること。そもそもこの一連の行動に優劣があるのか。まず優劣を定義するには2つ以上の事象がないといけない。この場合、他者、理想の自分、違う選択をした自分、あらゆる仮定の自分などか。また、優劣は客観指標によるものか。誰の目も優劣が共有されるか。またその基準はユニバーサルなものか。そうでないなら主観的にしか判断できないか。客観指標と独立に共存するか。

 考えすぎるのもよくない。とりあえず保留。現在~未来にかけてというのは、今がよりよいのか、将来訪れるであろう幸福、よりよさのために行動するのかでは違うのでは。ダニエルカールマンのファストアンドスローを読み返すべき。しかし将来を大事にしすぎて今を切り詰める生き方も疑問。娯楽をそぎ落としたり、飲食に楽しみを見いだせないのは意味があるのか。これらの将来でなく今に貢献する行動にも一定の価値を置かなければならない。将来を考える行動と現在を考える行動が衝突したとき、どのような基準に沿って行動すればよいのか。

 所属しているコミュニティというよりも、自分以外の他者からの評価を上げたいのではないか。尊敬されたい好かれたい。第4段階の欲求。5段階に差し掛かりつつある気もするが、たまに3段階目が満たされていない感じもする。

 方法については、頭で考える、行動するの繰り返しでしかない。考えるとは、ここでは仮説とその検証を繰り返す科学的方法論を指す。行動はそのまま。 

 何がより望ましい状態か、というのが根源の問題である。すべての基準を記したユニバーサルな指針はない。宗教哲学の分野か。ただ、具体的な問題に、何がより望ましいか、常に仮説を立てることができる

第1段階:生理的欲求 生きていくために必要な、基本的・本能的な欲求を指します。 「食欲」「排泄欲」「睡眠欲」などが当てはまり、これらが満たされなければ生命の維持が不可能となります。一般的な動物がこのレベルを超えることはほとんどありませんが、人間がこの欲求階層にとどまる状況は一般的ではありません

第2段階:安全欲求 安心・安全な暮らしへの欲求を指します。病気や不慮の事故などに対するセーフティ・ネットも、これを満たす要因となります。一般的に、幼児にはこの欲求が顕著に垣間見えますが、大人になると反応を抑制することを覚え、自然と次の段階へ欲求が昇華していきます。

第3段階:社会的欲求 友人や家庭、会社から受け入れられたい欲求を指します。 集団への帰属や愛情を求める欲求であり、「愛情と所属の欲求」あるいは「帰属の欲求」とも表現されます。この欲求が満たされない状態が続くと孤独感や社会的不安を感じやすくなり、時には鬱状態に陥るケースもあります。

第4段階:承認欲求(尊重欲求) 他者から尊敬されたい、認められたいと願う欲求を指します。名声や地位を求める「出世欲」もこの欲求の1つに当てはまり、外的部分を満たしたい第3段階までとは異なり、内的な心を満たしたい欲求へと変わります。また、こちらは第3段階における「帰属」の欲求が前提となっており、他人からの賞賛を求める欲求はその後の自然な行為とみなすことができます。なお、承認欲求における尊重には「低いレベルの尊重欲求」と「高いレベルの尊重欲求」があります。低いレベルの尊重欲求は、他者からの尊敬、名声、注目などを得ることによって満たされます。高いレベルの尊重欲求は、自己尊重の意識付け、技術や能力の習得、自立性などを得ることで満たされ、他人からの評価より自分自身の評価を重視します。この第4段階の欲求が妨害されると、劣等感や無力感などの感情が生じます。

第5段階:自己実現欲求 自分の世界観・人生観に基づいて、「あるべき自分」になりたいと願う欲求を指します。潜在的な自分の可能性の探求、自己啓発行動、創造性の発揮などを含み、自己実現の欲求に突き動かされている状態となります。また、第5段階だけはこれまでの欲求とは質的に異なっているとされています。マズローは最初の4欲求を「欠乏欲求」、最後の1つを「存在欲求」とまとめており、自己実現を達成できた人は数少ないとされています」

補足:自己超越晩年、マズローは5段階の欲求階層の上に「自己超越」の段階があると発表しています。「自己超越」は、”目的の遂行・達成のみをピュアに求める” という領域を指し、見返りを求めず、自我を忘れてただ目的のみに没頭する様を指します。マズローいわく「自己超越」の領域に達することができるのは全人類の2%程度とのことで、第6欲求の実現を目指すのは稀なケースとされています

https://ferret-plus.com/5369

 ひとまず今改善したいこと。望ましい状態の仮説

1.ダイエット。60kgまで痩せたい。自分の自信に関わるし、他者からの印象が違う。特に初めて会う人など。健康にも関わる。健康診断が心配。

2.就職後の専門知識について。専門と違う会社を選んだので少し心配。ただこれは入ってからその都度でよい気がする。今は研究を淡々と一生懸命することが大切なのでは。

3.思考方法 思考のステップをとばさない。実験ノートが支離滅裂なことが現在の思考の質を示しているのでは。とにかく、書いて思考することが大事。結局頭の中だけだと堂々巡りになり時間の無駄。

4.人間関係。もっと積極的にかかわりたい。皆となかよくなりたい?人間関係に振り回されるほど気にしすぎてもいけないが、現在は人間関係を避けすぎている気がする。何か行動が必要。人間関係がうまい人に相談か。

テーマを変える。勉強や楽器等、というか人生全てにおいて、「何かを上達すること」について。趣味レベルかプロレベルかによっても議論が違う。まず、

1.死んだら全部無になるから生きているうちに何をやっても価値の優劣はない

が適当な思想かどうか。さらにその上でだから何もしないか、だから何かするのか。食べて寝る人生。ストレスもない。幸せか。調べれば研究が出てきそう。また、この価値の優劣というのは客観的なものか、主観的なものか。頑張らなければ、地位が低くなったり他人に見下されたりお金が稼げないから、頑張るのか。内在的なものか。そうか、動機がどこにあるのかということと関係がありそうな気がする。そもそも死生観は今定義しようがしまいがあまり今に影響はない。ただ価値判断の策定には影響しそう。保留。

2.1番にならないと意味がない

から1番になれそうにないものは最初からしないか、1番でなくても意味はないが(自分にとって)意味がないのと社会的に意味がないのは違うから自分にとっては意味があると頑張るか、社会的にも意味があるか。というか何を求めて頑張っているかということか。目的方法動機、動機と目的の違いは?思考において言葉の定義曖昧にしていると良い思考ができないという指南をみたことがある。

動機

何故その目的を立てたのか、ということか。

3.どれほどまで今を犠牲にして上達し将来に貢献するか

子供はいろいろ考えないで、がむしゃらに行動できるからいろいろ上達するのではと思い始めてきた。考えすぎか。何を考えて何を考えないかの区別をどうするか。どこまで考えるかの基準はどうするか。いつもとりとめもなく無数の疑問が浮かんできて、それをすべて解消しないと落ち着かない癖。小学生の時にはすでにあったような気がする。しかし、価値判断を他者にゆだねて言われたことを淡々とする、信じる人生は避けたい。自分の宗教は自分で作る。

その都度自分が理想的だと思うことを淡々とすればよいのでは。誘惑でも怠惰でも過剰でもない選択。あらかじめ優先順位を考えておく。自分の人生において一番大きな石は。現在を過大評価しすぎる。

ばらばらの思考ではなく、体系的な思考が必要。まとまらない。体系的な思考をするにはどうしたらよいか。浮かんでくる疑問同士の上下関係、論理関係を考えて関係づける。思考を飛ばさない。もれなくダブりなく分類。

これだけは正しそうといった事例を集める。前提条件が厳しくてもよい。ツイッターをしすぎる。スマホを触りすぎるのは直したい。何日寝て過ごすのは良くない。たまには休むのも大事な気がするが。何が理想的か、という結局は価値観の問題。自分は何をうらやましいと感じるか。

他人に不満を抱きすぎでは。他人を批判しすぎる。そのくせ自分には甘い。どうにかしないといつか大変な目に合いそう。直していかないといけない。

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